第4回OMSプロデュース
1999年3月28日(日) 俳優座劇場
松本ハウスのキックさんが客演した舞台「ここからは遠い国」を観に行ってきました。私は舞台やお芝居は今まで数えるほどしか観た事がなく今回も「どんな感じなんだろう??」と思っていました。
急いで昼ご飯を食べ、俳優座に向かうとまずパンフレットを買いました。「やっぱりこの写真はいいな。色も、この悲しげな表情も。」と思いながらバッグにしまい席につきました。ステージ中央には古ぼけた軽トラックが置いてありました。「ココ(三列目中央)から見ると軽トラックの座席の中は見えにくいなぁ・・・。舞台はやっぱりあまり前じゃない方が全体が見渡せていいなぁ」なんてことを考えながら開演を待ちました。
この舞台はオウム(レポの中ではイニシャルで表記)の一連の事件が出てくるんですが、そのことについては簡単に言葉にしてしまいたくないと思っています。私は当事者ではないし、事件についてそれほど知っているわけではないので、オウムという団体や実際の一連の事件について、偏った考えをなるべく出さないようにしたいと思います。
あらすじ>>
小さな工務店を営む父、家事や家業の雑事を切り盛りしている長女、O教団を脱会して家に帰ってきたもの現実に戻りきれずガレージの軽トラックの中で寝起きする長男ヨシマサ、献身的に兄の世話を続ける次女、天真爛漫な三女、そして亡くなってしまった後も家族のそばで見守り続ける母。
オウムの事件、そしてシェイクスピアの「ハムレット」とチェーホフの「三姉妹」を題材にし家族の物語が繰り広げられていく。
劇中ではモップスの「たどりついたらいつも雨ふり」、井上陽水の「夢の中へ」、泉谷しげるの「春夏秋冬」、ザ・ブロード・サイド・フォーの「若者たち」が使われていた。どの曲もリアル体験ではないけど、ちょうどリバイバル一波ってときに体験した。「たどりついたら〜」はあるバンドがカバーしていたのをちょうど10年前に聴いた。「夢の中へ」は斉藤由貴で聴いたのが初めてだったと思う。春夏秋冬はこれまた10年前泉谷がセルフカバーした時によく聴いていた。「若者たち」は音楽の教科書にでも載っていたような気がする。キーワードはやっぱり「懐かしい」だ。
「夢の中へ」に合わせて黄色のサマナ服を着た面々(ゾウの帽子のようなのを被ったOシスターズ、ヘッドギアをつけ空中浮遊をする人、ヘッドホンを聴きながら座禅を組んでいる人、8ミリビデオを手にする人)が出て来て音楽に合わせて踊り出した。思わず苦笑いしてしまった。滑稽に映ったのもあるし、滑稽に映るように取り上げられている、と感じたせいもあるだろう。O事件の事を取り上げるのはやっぱり「あざとく」感じてしまう。現実に起こってしまった事件への気持ちと、芝居への気持ちがごっちゃになってしまう。
作り手はO事件を裁きたかったのか、O事件が起こってしまった背景への警告なのか、事件が忘れ去られてしまう事を恐れ警鐘を鳴らしているのか・・・。きっとどれも外れだろう、と思う。
泉谷しげるの「春夏秋冬」とともに周りにかけられていた布が取り払われ、ガレージの中に場面転換した。シャッターや住居へのドア、いろいろなものが雑然と置かれた棚。何だか懐かしい光景だ。「・・・コレ、うち(の作業場)じゃん・・・。」私の父と兄は大工です。そして4人兄弟(姉・兄・姉・私)・・・。ハマり過ぎ。ちなみに母はピンピンしているし、状況はだいぶ違いますけどね。
父は、閉じこもっているヨシマサに何か言いたげなんだけど、なにも言えず腫れ物に触るような感じでしか接する事が出来ないでいた。長女はそんな父の態度や、いつまでも閉じこもっている弟の態度に苛立っている。次女は自分の悩みを兄の世話をする事で忘れようとしている感じで、心の中で兄に依存している。三女はそんな問題とは無関係なスタンスにいて、天真爛漫な態度を示している。昔の自分は三女のような感じだったと思うが、今の自分は次女の気持ちがイチバン近いような気がする。
「工務店じゃ世の中は変わらん!」と父親に言い放つヨシマサ。「あの人は全部を受け入れてくれるんだ!」と教団に戻ろうとするヨシマサ。ヨシマサはやっぱり「大人になりきれない子供」なんだと思う。そんな子供な部分を、わたしは他人事として考えることが出来ない。「わかるよ・・・。わかるけどさ・・・・」
松ハファンとしてのわたしの感想は「キックさんカッコいい。」でした。(爆)
「ああ、こんな表情するんだ」とか「こんなシャベリ方もするんだ」って”素材”キックさんを楽しみました。
印象に残っているのは三女の友人のちょっと周りと噛み合わない子と話している時の反応の良さでした。「わたしの父の同僚の親戚の娘さんの勤め先の(云々・・と続く)方が地下鉄サリン事件で亡くなりました。そのことに付いてどう考えていますか?」という彼女に「結局は他人やな!?」と切り返すところとか、その子の妙な質問に対してその子ではなく三女に向かって「俺に話し掛けてんで?!」という所はユーモアがあった。そうか、ヨシマサにはユーモアがなかったんだ。それが余計に普段とは違って見えたんだと思う。
それにしても最後の方の場面の「だんご三兄弟」はかなり意味不明でしかも「安く」感じられてしまった。「だんご三兄弟」自体がマスコミに操作された「安い流行」な気がするからだ。
「O事件」「ハムレット」「三姉妹」をつまみ食いしたような内容になっていたと思う。別にO事件を取り上げなくても、普通の宗教でも同じような話が成立するだろうし、もっと極端な話宗教じゃなくてもよかったのではないか。O宗教の信者だった事よりも、どうして宗教に頼らざるを得なかったか、そういう気持ちの動きをもっと大切に描いて欲しかったと思った。
でも芝居を観るまでいろいろグチグチなやんでいたことを無意識のうちにすっぱりと忘れ没頭できたことがすごく良かったです。目の前で繰り広げられるパワーのカタマリのぶつかり合いを観て、正直圧倒されました。いろんな事を感じ、考えられるってことは自分にとって癒しになっていると思います。
最初ストーリーを頭から詳しく書いていこうと思いましたが「う〜んダメだ、長すぎてワケわからん・・・」と思い感想だけにしてしまいました。詳しいレポが読みたい方、「こう思うんだけどどうかな?」てなことがある方は是非メールください。
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